青年期コーダの皆様へ

 青年期とは、他人の目がとても気になることが特徴です。
自分とは何か?と考えるときも、他人は自分をどうおもっているのだろう?と、他人の目を通して自分を見ようとする傾向があります。
 そして、人と違うことにとても敏感です。

だから、この頃のコーダが「聞こえない親や手話は人と違って恥ずかしい」と思うことは、ある意味当然ということができます。
(もちろん、恥ずかしいと思わないコーダも、います。)

けれど、このことで、とても悩むコーダがたくさんいることがわかりました。

「きこえる人とは、ちょっと違う親。だかっら自分も、周りの友達とは何か違うんじゃないか?と思ってきました。それに、親と自分とでも、何か違うと思ったり。
 中学の頃は、それでイライラしてたけれど、今思えば、結局私は、友達とも親とも違う自分を、誰かに認めて欲しかっただけなのかもしれません。」

そんなときは、他のコーダの気持ちを知ることが出来れば面白いかもしれません。みなさんの少し先をいく先輩コーダもまた、コーダの仲間の語りに触れる中で、

「聞こえない親をもつ子どもは自分だけじゃないんだ」

と、気づき、自分を見つめなおすようにも、なってきました。

「他のコーダは、どんな気持ちをもっているのかな?」

「お父さん、お母さんとどうやって会話しているの?」

「自分って、いったい何なのだろう?」

心にふと浮かんでくる問いを、少しづつ言葉にしてみたくなったとき、、、
このホームページが、あなたにとっての小さなよりどころとして、在れたらと願っています。

大人になったコーダの皆様へ

あるコーダが、自分の生い立ちを振り返り、このように語っていました。

「自分自身、健気だったなぁって。子どもの頃の自分に対して、あなた健気だったね、って言ってやりたい。
 辛いって言える人もいなくて、かわいそうだったねって。
 その当時、大変だったとか辛いとか思っちゃいけないと思って、それを閉じ込めてきたけれども、それをずっと抱えてきてて、
 健気だったねって。当時の自分を思い出して。だから、自分の境遇が絶対いやとか、そういうことではないですけど、
 私はちょっと特殊な経験
ずいぶんしてきたんだなぁってこどですかね。」

 既に大人になったコーダの方々、幼少期から積み上げてきたやり方や、培ってきた性分を、大人になってから変えるということは難しいのだろうと思います。
 ですが、もう十分、頑張ってきたのですから、これからは意識的に人に話してみたり頼ったりして、少しだけ肩の力を抜いて生きてみてもいいかもしれません。

私たちは、たまたまコーダに生まれたわけですが、、

ある意味でこの曖昧さをもった存在を
”私だからこそ”
という発想に変えて、等身大の自分を好きになって
生きていくのも、なんだか面白そうです。

このホームページは、「ひとりじゃないよ」と伝えるための場として、ここにあります。
たったひとりで頑張っているコーダも、みんな「コーダ」の仲間です。

※一部『コーダ きこえない親の通訳を担う子どもたち』(金子書房 2023)より引用

 

PAGE TOP