コーダの気持ちの変遷

約50名のコーダの方々に、「親への通訳」というテーマで、1時間ほどのインタビューにご協力いただきました。
高校生から50代まで、幅広い年代の方々にご協力いただきました。ありがとうございました。
インタビューに応じてくださった皆さんの経験や、親に対する思いは、本当にさまざまでした。
親とのコミュニケーションの方法も、スムーズに手話で会話する方もいれば、ホームサインや身振り、口話を使う方など、多様性に富んでいました。
コーダの皆さんが子ども時代を振り返り、現在の自分と向き合いながら語ってくださった内容を質的に分析しました。ここでは、その一部をご紹介します。

児童期を振り返って(~12歳頃まで)

通訳役割は当然
「役目という意識はなかったですね。親のいうことを聞くという感じで。物取っちゃいけません、わかりましたって感じで、こんなことを言ってください、わかりましたって感じですよね。」(Aさん 30歳代)

自然に親を守る
「大人になってくると母親が可愛らしくなってくるって逆転する感覚があると思うんですけど、小さい頃から一家を支える大黒柱とか思ってました。」(Bさん 30歳代)

青年期を振り返って(13歳~23歳頃まで)

通訳役割の思い悩み

通訳役割の葛藤
「子どもは聞かなくていいことを、全部僕は入ってきたんですよ。通訳をしなければいけなかったから。聞かされたくないことも聞かされて。でもやらざるを得なかった。こんな子どもは他にいるのだろうかって。」(Bさん 30歳代)

通訳役割の失敗から起こる不全感
「生命保険解約したいんですけどって。そんなの、どうやって俺言えばいいのって。なんだ、お前、わかんないのか。お前はもういい、馬鹿だって。そういう時は、煮え切らない気持ちになりました。」(Cさん 30歳代)

親への否定的感情

親の障害を受け入れられない
「普通の家に生まれたかったなぁって。友達の家に行った時に、親と子どもが仲良さそうにしゃべってたりしてるのを見ると、全然平凡な様子ですけど、うらやましいなぁって。」(Dさん 10歳代)

障害のある親や手話は恥ずかしい
「手話は恥ずかしいなって。中学になって、参観日に手話通訳者来るんだったら、もう来なくていいって。で、通訳なしで1人できたら全然わからないし。そしたら、もう来なくていいってなって。」(Eさん 30歳代)

コミュニケーションの不充足感
「今日こんな腹が立つことがあってとか、その腹が立つ程度とかを手話で上手く表せなくて。日本語だったら、今日むっちゃ腹立ったわとか、そういう友達同士でいえるこのトーンは難しかったです。」(Fさん 20歳代)

親の無力さへの苛立ちと諦め
「受験校を決める時も、親は何もわからない。わからないから調べてもくれなくて、ほったらかしだったんで。だから、勉強のことで悩んでいたり、相談したいことがあっても、別に言っても仕方がないみたいな。」(Gさん 10歳代)

親への親愛感

きこえない世界の安心感
「やっぱ生まれてきてから、感覚的にどう思うかっていうと、聴覚障害者の中にいる方が全然安心するわけですよ。小さいころから、学校とかいっても健聴者の世界は、アウェイなんですよね。」(Bさん 30歳代)

親を守る
「一番かわいそうなのがコンビニいってお金を払う時。『ポイントカードお持ちですか?』って聞かれても、親はきこえないから無視じゃないですか。店員がすごく睨んでるので胸がキュンとなって言い返します。」(Hさん 20歳代)

周囲との溝

周囲の無理解な介入への違和感
「心配されると面倒くさいという感じです。高校の先生が、お前の親、聴覚障害者だから幸せにしてあげるんだぞって言うんですよ。別に頑張ってるし、それがなくともって思った。」(Iさん 20歳代)

相談できる人がいない
「相談したくて、でも誰に言っていいかわからなくて、余計な悪循環をしていた。自分がだんだんと難しくなっていった。学校に答えを求めるのも、むしろ学校の方が知らなかった。なんか袋小路。」(Jさん 20歳代)

成人期について(24歳頃~)

聴覚障害の知識を得る
「今は、手話を勉強することによって、親から聞かされていた聴覚障害者の歴史をきちんと認識して受容出来るようになってからは、親のことを尊敬してるかって聞かれたら、尊敬してるかなって。」(Kさん 30歳代)

障害への視点を切り替える
「思春期の時は、親なのに何で、とかあったんですけど、今もう親のこういうところが嫌とか言ってられないじゃないですか。まず自分が変わろうと思いました。」(Lさん 20歳代)

周囲は気にしていないと気付く
「友達は聴覚障害の親のことを、あっさり受け入れてくれた。私の想像だったら、苦労したんだなとか、偉いなぁとか言われると思ったのに。私は可哀想な子どもじゃなかった。」(Mさん 30歳代)

自身の人生の転機
「子どもを産んでからかな、気持ちにゆとりができた。子育てって、こうなんだって。お母さんも、こうやってきたんだて、ありがたみと苦労がなんとなくわかったからかな。」(Nさん 30歳代)

自然に親を受けいれる
「今は、通訳者じゃなくて、あくまでも娘として家に帰ってのんびりしようとか。今もありますよ、テレビ見てるのに通訳をお願いされたり。でも昔はわぁってなってたのが、今は親に対して優しくなれる。」(Aさん 30歳代)

コーダの自分史

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ブログ「コーダとスクーター」
コーダとしての日々のできごとや、ふとした気づきをもとに、家族との関係、人とのかかわり、社会の中で感じる小さな違和感や問いを、当事者として、また研究者として綴っています。
また、このブログには、何人かのコーダが過去を振り返り、自分を見つめなおしながら、その時々の思いや葛藤、喜びや痛みまでも素直に綴った「コーダの自分史」も掲載しています。
それぞれの人生に刻まれた、深い記憶と感情が息づく物語が広がっています。

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